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こだわり


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コンセプトは身土不二

季節を楽しむ健康料理 身土不二 一物全体(土を食らう日々)
"赤目の森には、入れ替わり立ち替わり、大勢の青年たちが訪ねて来る。
なぜかというと、そこで出される食べ物に引かれて来るそうな。

「人は季節の巡りの中で長い間生きてきた。つまり季節の中に食べるべきものがあるということだ。路地の畑にある野菜を食べ、季節の魚を簡単味付けでしっかり食べる。そこにこそ「食」の醍醐味がある」こう語るのは、里山の伝道師。
 どこからこのような料理の腕を磨いたのかと聞くと、「母の料理を手伝った子どもの頃」と応える。

水上勉 「土を喰らう日々」の12カ月の素朴な料理。全ての野菜は土から芽を出したのだから、それらは土のそのものだ、と筆者は語る。そんな野菜たちをどのように、食べてやろうかと、伝道師はいつも考えている。

土そのものの野菜や食材は、人の身体の材料である。食べなければ屍をさらすわけだから、食べ物で身体はできている。この簡単な真実が人間にはわからない。
身体は「細胞」や「骨」や「水」でできていると、物知り顔で言うが、本当は食べ物でできている。その食べ物が、およそ60兆個の細胞を一つ一つ新しく変えて行く。3年たてば全く新しい自分と出会えるという真実は、難病を抱えている人達や病弱な人たちへの「生きる源」になっている。

なぜなら、身体は何時でも新しく入れ替わろうとしているからである。悪い部分や弱い部分も人間の自然の治癒力と、細胞の入れ替わりで、明日になれば良くなっているかもわからないという希望を与え続けてくれる。

このような営みを支え、簡単に健康作りが行えるキーワードとして、二つの言葉がある。 それが「身土不二」「一物全体」である。



季節を楽しむ健康料理


 「自分の身体と生活している土地とは、不二ではない、つまり一体であるという意味」である。つまり、季節の巡りに合わせて、食事や生活をしましょうという教えである。この言葉は朝鮮半島から日本に渡ってきた言葉であろう。韓国には「身土不二」というポピュラーな歌謡曲がある。ウルグアイラウンドという関税撤廃の条約批准に反対した韓国国民は、この歌を歌って、国内産の野菜や果物を守ったという有名な話である。

自分の住んでいるところを中心に一里(4㌔)四方で作られるもので生活する、ということと同じ意味だ。
つまり、冬にトマトやキュウリなどの夏の野菜を食べない、ということである。季節には季節の食べ物「旬」というものがあり、その季節の贈り物と言うべき「旬」の食べ物を食べて、自分の身体を養うことが「身土不二」の教えにかなうということである。

だから、赤目の森の食べ物は、季節を楽しむ健康料理なのである。



「一物全体」

 「一物全体」も健康に人々が生きて行く上での教えである。生命体は全体で一つの命を育んでいる、ということである。マグロの刺身の一切れでは、絶対に泳げれない。小さくとも「雑魚」は生きているし、泳げる。小さくとも全てが整っているからこそ命がある。

人々が生き物を食材に考える時、マグロの一切れより、小魚の方が身体にやさしいと考えられるだろう、それは命を頂いているからである。命あるものが、命を頂く時に、全てを頂くことが命を引き継ぐことになることは、エキスモーの人たちの食生活でよく言われてきたことである。

氷原に暮らす彼らたちは、野菜を食べない。何を食べるかと言うと、動物をほとんど丸ごと食べる。肉はもちろんのこと、血の一滴を大切に、皮や骨まで食べられるところは全て食いつくす。だから、野菜を食べなくても、全ての栄養素が補給できて、生きていけるのだ。

マグロの切り身や肉の一部分だけを「美味い」と言って食べている人々にとっては、食べ物で全ての生きる栄養素を摂ることができないから、あれこれ食べなければならない。栄養補助剤などが人気を呼んでいるのもそういうことだ。

白米と玄米はどこが違うか、と聞くと、必ず「胚」があるない。 「糠」があるない。と当然のように話してくれるが、「死んでいる」「生きている」とはだれも言ってくれない。

玄米を夏に水に浸して、3日もおけば芽が出てくる。玄米は生きているのである。白米を同じように水に浸すと、甘酸っぱい匂いがする。つまり腐敗発酵しているのである。胚と糠が一緒についているだけで、命が存在するのである。

この命つまり玄米を食材にすれば、栄養素が満たされた素晴らしい食べ物になると言われる所以は、このような「一物全体」の考え方から来ているである。


(赤目おやじ)





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